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略歴(下部に詳細な履歴があります)

2013年  横須賀市長選挙 87,185票で当選 2期目

2009年  横須賀市長選挙 68,628票で当選 無所属

2008年  4月10日 駅立ちが通算1000日を達成

2007年      横須賀市議会議員 11442票で再選 無所属

2006年      早稲田大学 大学院 政治学修士(地方自治行政)卒業

2003年      横須賀市議会議員 5911票で初当選

2002年      アクセンチュア株式会社 退社(大学院入学)

1999年      イギリス・ロンドンに短期語学留学(約3ヶ月)

1999年      早稲田大学政治経済学部政治学科卒業

1994年      県立横須賀高校卒業(46期生徒会長)

1975年      12月3日生まれ 卯年 射手座のA型

 

 

■2013年 横須賀市長選挙 87,185票で当選 2期目

厳しい選挙でしたが、前回の選挙より2万票を増やすことができました。さらに、投票率も50%を越え、その中で得票率も50%を超えました。「理念を曲げずに持ち、ビジョンをはっきりと掲げ、政策を実現しつづけてきたからこそ」、とある方に言われました。淡々と、けれども着実に、歩みを進めていきたいと思います。

 

 

■2009年 横須賀市長選挙 68,628票で当選 無所属

36年間続いた官僚出身の市長が続けてきた「次の世代の負担を考えない、独りよがりのハコモノ中心主義」からの脱却を掲げて、立候補しました。すべての政党や多くの団体が他候補を支援する中での苦しい戦いでしたが、市民の皆さんのご支援のもと、「横須賀のまちを変えるのは、市民ひとり一人」を合い言葉に、当選させていただきました。

 

 

■2008年4月10日 駅立ちが通算1000日を達成

選挙がある・無いにかかわらず続けてきた駅立ちが、この日1000日を超えました。ただ、何日駅立ちしたか、というのは、実は、とっても瑣末(さまつ)な話です。横須賀のまちの政治がどれだけ変わったか、それがどれだけ伝わったか、そしてどう受け止められたのか、といったことが大事な話です。もちろん市長就任後の今でも続けています!

 

 

■2007年 横須賀市議会議員 11442票で再選 無所属

多くの方のお陰で、4月27日に再選することができました。この11,442票という数字。実は、政令市を除く市町村の統一地方選挙では全国一の得票数だったそうです。得票数の速報を聞いた選挙事務所では、何かの間違いだろうと、万歳をするタイミングを逃すほど驚きました。選挙は一票一票の積み重ねと言いますが、ご支援いただいた方々への感謝の想いを強くし、市民の代表としての責任を重く感じた次第です。

 

 

■2006年 早稲田大学 大学院 政治学修士(地方自治行政)卒業

2002年に会社を辞めたときは、政治家という職業を意識はしていましたが、「中身のない政治家になりたくない」と思い、大学院にて勉強することからはじめました。立候補・当選後も通い続け、2006年の3月にようやく4年間かけての卒業となりました。政治学の修士号の取得です。議会改革を言葉だけで終わらせないためには、学問的な考察も必要であると考え、卒業論文は「地方議会活性化のためのIT化施策の可能性と限界 ~地方議会IT化施策の事業評価より~」というテーマでまとめました。

 

 

■2003年 横須賀市議会議員 5911票で初当選

4月27日の市議会議員選挙で、当時最年少(27歳)・最高位(5,911票)にて当選をさせていただきました。告示日の4月20日は、私が生まれてからちょうど10000日目だったので、少なくとも残りの10000日は、それまでの恩返しに使いたいと思いました。

 

 

■2002年 アクセンチュア株式会社 退社(大学院入学)

会社では、本当に多くのことを勉強しました。とくに経営のこと、お金のこと、ITを使った行政改革のこと、プロジェクトマネジメントなどについて、学ぶことができました。参画したプロジェクトの多くが、中央省庁や地方自治体の業務を電子化するプロジェクトでした。そこで感じたことは、実は行政職員はとても優秀なこと、けれども予算や制度を最終的に決めることができるのは政治であること、その政治が機能しなければ職員がいくら優秀でも全くためにならないこと、でした。そこから、具体的に政治に携わりたいと考え始めました。

 

 

■1999年 イギリス・ロンドンに短期語学留学(約3ヶ月)

大学卒業後、7月に入社するまでの間、いろいろな文化や習慣に触れたいと思い、ロンドンに短期の語学留学をしました。イギリスの文化・伝統のすばらしさに感銘を受ける一方で、それらと現代社会の諸問題との不整合・ひずみを肌で感じたことを覚えています。(と、偉そうに書きましたが、勉強をしたことよりも、地元のイギリス人や世界各国から来ていた友だちと遊んでいた記憶ばかり思い出します(笑)。よき青春時代の思い出です。)

 

 

■1999年 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業

留年したので、5年間大学には通いました。3年生の頃から、一人暮らし。学費以外は、全部アルバイトで稼いでいました。サークルは主に「雄弁会」に所属していました。アイデンティティと他者性の観点から、文化論や自治論、コミュニケーション論を研究・議論していました。このときの活動や仲間は、何ものにも代えがたいものです。

3年生からのゼミは、梅森直之ゼミナール(日本政治思想史)に所属していました。卒論は、あえて韓国の小説(鮮于煇「背面」)を取り上げました。背景としては朝鮮半島の2つの特徴に注目したためです。ひとつは、民族も言語も宗教も一緒なのに、国家が二つ存在している点。もうひとつは、日本の植民地であった歴史の中で、民族も言語も宗教も違う別の国家であることを強制されていた点です。

4年生の頃は、中止になった早稲田祭復活のため、「祭組」を結成し、二年間にわたり活動したり(そこで行った提言等については→こちら)、雑誌サークル「第三文学部」を創刊し、発行人を務めていました。時代に先駆けた、本格DTP編集の雑誌でした。

 

 

■1994年 県立横須賀高校卒業(46期生徒会長)

第46期の生徒会長でした。1年生の後期と2年生の前期に就任していましたが、生徒会長なのに、授業はサボりがち。決して「優等生」ではありませんでした(笑)。部活は弓道部をメインに活動し、ほかに茶道部、文芸部、写真部、囲碁部、グランチ(ボランティア同好会)などに入っていました。当然「部活に入りすぎでは?」という声は、当時からたくさんありました(笑)。

 

 

■1975年 12月3日生まれ 卯年 射手座のA型

父:雄蔵、母:美意子の第二子・長男として生まれました。父親は予備校教師で、一般の家庭と比べると、家族と過ごす時間がとても長かったのではないかと思います。反面、厳しい父親で、テレビゲームなどは一切買ってもらえませんでした。今となれば、父とした相撲や裏山登りなどが懐かしい思い出です。母親はスペイン語の通訳を時々やっていました。そのときの縁から今はスペインのタイルを輸入販売する仕事をしています。

 

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