活動日記

住民投票条例賛成の討論原稿

2008年5月19日議会

先日行われた、原子力空母の是非を問う住民投票実施に関する
議会での採決では、結局賛成少数で、否決されてしまいました。
たいへん残念ですが、市民の意思を明らかにするということを、
けっしてあきらめてはならず、ひるまず、恐れず、曲がらずいれば、
絶対にいつか、日の目をみることができると思っています。
それでは、その際に、行った討論を掲載します。
【平成20年 第1回臨時会 賛成討論】
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吉田雄人です。発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。
本臨時会に、上程されている議案のうち、
議案第53号に賛成していただきたく、
発言通告に従って討論をいたします。
さて、昨年2月の直接請求と、
今回の市長との質疑の中で見えてきたことは何かといえば、
それは、結論ありきの態度です。
前回も今回も市長は、
「外交にかかる事務は国の専権事項」とおっしゃっていますが、
実は、日米地位協定の改定であるとか、外交にかかる案件について、
基地を抱えるまちのトップに立つ立場から、
多くの意見や要請を国に働きかけております。
また、そうした要望や意思が
米軍脱走兵に関する情報提供の確立など、
一定の効果を見てきたことも事実です。
要は外交にかかる事務であっても言うべきことは言う、
というのが市長の意思なのだろうと思います。
その思いは、先日の佐久間則夫議員に対する
答弁の中でも現れておりました。
長いですが、ちょっと読みます。
「万が一、そのような事態が発生した場合には、
市民の生命と財産を守る立場の市長として
そのことを最優先に考えて、
当該艦船の入港を拒否することは当然と考えております。
自治体の首長に艦船の入港を拒否の法的権限はありません。
しかし、仮に市民の生命と財産に
危害が及ぶ可能性があるという場合には、
私は、法的権限を越えて、断固として、拒否をいたします。
かかる決意を持って横須賀市長としての臨んでまいりたい。」
という答弁をされました。
法的権限を越えて、断固として、拒否をいたします。
と言われたわけです。
ここで私が疑問に思うのは、
外交は国の専権事項と言っていたのに、
論理的におかしいのじゃないか?
ということではなく、
市長は、自分の意思を貫く想いが強すぎるのではないか?
ということです。
自分の意思は正しいという認識は、
政治家として当然大切なことではありますが、
一方で、それが間違っているかもしれないという可謬性を認め、
人の言葉にしっかりと耳を傾けることも必要な資質です。
とくに、今回のように直接請求が2度も出されたということ、
そして2度目は、署名の数が1万以上も増えたということは、
市長に対して、もう少し市民の声を聞いてほしい、
ということの表れだったのではないでしょうか?
意志が強い、ということはたいへん結構なことではありますが、
ぜひ、一方で、市民の方々の声に、謙虚に、
そして真摯に耳を傾けるという姿勢を、
市長には持っていただきたいと思います。
また、一方で、「馴染まない」という言葉について、
再度議論をさせていただきましたが
「裁判に馴染まない問題」という用例を出されて、
市長は堂々と「住民投票は馴染まない」とおっしゃられました。
けれども、裁判というのは、司法の場です。
私は、あくまで政治家が、
ことこうした重要な判断にあたって、
馴染む・馴染まないという議論で片付けることは、
やはり適当ではないと考えます。
前回を1万以上も上回る署名の重さとは、
まさに「なじまない」という言い訳では
納得させられないほどの重さであると思います。
さて、それでは、
今回の条例案の制定について、
どのような必要性を認識しているかを、
自立という私自身の理念に基づいて
述べさせていただきます。
地方分権の時代、と言われて久しくなりました。
これは社会構造が高度化、複雑化、細分化している時代の中で、
国が一方的、画一的、平均的に、
行政サービスを規定するのではなくて、
地方自治体が、それぞれの独自性、特殊性を、
自律的に行政サービスに反映していくことが
望まれる時代であると認識しております。
つまり、地方が、自らのことは自らが決め、
その結果に自ら責任をおう国から自立した組織として、
行政運営をやっていく時代であると。
それでは、そういう時代の中で、
横須賀市の市民とは、いったいどのような存在なのでしょうか。
今まで軍港として栄えてきた歴史の中で、
お上・行政への依存体質があったと言われてきました。
けれども私は、市民の意識も
大きく変わってきていると感じております。
今回の直接請求もその表れです。
市民の方々は、横須賀市の株主であり、
行政サービスの消費者でもあり、
また、まちづくりを行う生産者でもある、
そんな存在である市民を
横須賀市のステイクホルダーだということができると
私は、繰り返し述べております。
そんなステイクホルダーたる市民の方々の存在は、
自立の求められる地方自治体において、
まさに自らのことは自らが決め、その結果に自ら責任をおう
そんな存在になってきていると感じておりますし、
こうした市民の方々こそ、
横須賀市の未来を支える方々だと思っています。
それではその中で政治的な立場である
議会や首長はどういう存在でしょうか。
その出発点は、地方自治体に暮らす市民の
ニーズや意思がどこにあるのか、
しっかりと把握することにあると考えております。
もちろん、未来への展望をしっかりと示しつつ、
市民のニーズや意思というものを
世論として、喚起・創出することも、
政治家に求められている使命の一つだと思います。
そうした時代状況、市民の意識、議会や首長の使命を
理念的に考えた上で、
本条例案のそもそもの趣旨をみてみたいと思います。
この直接請求のあった住民投票は、
あくまで結果の尊重を求めたものであり、
けっして趣旨としては、市長の越権行為を促したり、
言動を義務付けたりするものではありません。
文言の整理上、読みとりにくい部分はありましたが、
請求代表者の意見陳述を聞けば、そこは理解できるところです。
そうすると、理念から演繹して考えて、必然的に、
条例案に賛成をしなければいけないものと私は考えます。
事故のリスクを多少なりとも抱え、
将来の町づくりにも大きな課題となるであろう
原子力空母の配備を
市民の賛否の意思を明らかにせずに、認めることは、
地方自立の時代や、横須賀市民の自立を、
否定することにつながるのではないでしょうか。
また、責任と言う、もう一つ別の観点からも言うことができます。
市民の意思を表明できないままに、
想定しがたい事故が起きた場合、
いったい誰がどのように責任を取ることができるかという点です。
たとえば、平成18年6月12日に、
外務省より回答のあったファクトシートに関する照会文書
「米原子力軍艦の安全性および防災体制等について」の中で、
万が一事故があった場合、
地位協定が適用されない物的なものの補償額については、
外交交渉によって問題の解決が図られ、
米国内法による救済の道も開かれている、とありますが、
その具体的な方法も、責任の所在についても
説明があるわけではありません。
今回、この条例を否決することは、
地方自治体の自己責任の原則を
否定することにつながるのではないでしょうか?
本条例案の審議の結果が、
横須賀市政の持続的な発展と繁栄に
大きな影響をもたらすであろうことに思いを致し、
賛成討論といたします。
どうもありがとうございました。

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