活動日記

9月25日を忘れない

2008年9月26日全般

昨日は、大きなニュースが二つありました。
原子力空母の入港と
小泉元総理大臣の引退表明です。
この2008年の9月25日という日は、
横須賀、三浦半島の近現代の歴史の中で
時代の端境期を象徴する一日として
記録するべきです。
まず私にとっては、原子力空母の入港は
大きな節目でした。
原子力空母の入港式典に行ってきました。
私は、これまで
「すくなくとも原子力空母が来るまでは反対する」
反対の立場を貫いてきました。
美術館やソレイユのときもそうでしたが、
施設ができあがりもしないのに
反対から賛成の立場にまわったり、
「せっかくなら、いいこと/ものを」みたいな議論に
すり替わったりすることは、
私の心情として許容できませんでした。
とくに蒲谷市長のように、
港湾法に位置づけられた市長の権限を行使するといった
切ることのできるカードを切らずに、
外務大臣と数十分はなしただけで容認に転じたことは、
いまでも思い出すたびに、怒りが湧いてきます。
けれども一方で、昨日、すぐ間近で
原子力空母を見て頭に浮かんだのことは、
横須賀のまちのおかれている理不尽な状況です。
アメリカの勝手な国際戦略の中で、
日本が進んで頭を垂れてそれに従い、
横須賀や三浦半島が
その荷物を背負うことの理不尽さは、
筆舌することは難しいところです。
この理不尽さに気づいている人は
たくさんいるのではないでしょうか。
理不尽であることに我慢できず闇雲に反対したり、
理不尽であることをうやむやにして、
理屈をつけて賛成したりする人はいますが
心の中では、この「理不尽さ」が
つねに、わだかまっているのではないでしょうか。
なぜならば、原子力空母の入港が
いわゆる基地問題と議論を異にする
次のような問題があるからです。
・それが原子力を動力としていること
・アメリカの艦船であり、詳細な設計を把握できないこと
・日本が初めてという米兵が3000人近く来ること
・自治体に入港自体を拒否する法的権限がないこと
そして、これらの問題の何一つ、
一自治体の力によって、変えることのできないことなのです。
入港するまでの間には、
横須賀市にもとることのできる選択肢がありました。
たとえば、原子力空母が接岸した12号バースを
延伸する工事は、市長が許可を出しました。
たとえば、12号バース付近の海底を
掘って深くする工事も、市長が許可を出しました。
12号バースを長くし、海を深くしなければ、
原子力空母は入って来れなかったのです。
ただ、入港してしまった今となって、
多くの問題を抱えながらも、
その問題を解決することができないという
この理不尽さがますますはっきりしてきました。
ここで、私ができることは何かといったら、
この理不尽さといつまでも対峙していくことです。
いままでは「反対」という言葉を使ってきましたが、
これからは、現実は現実として受け止め、
今の状況に対しては堪忍し、
けれどもこの理不尽さを理不尽なままに
終わらせないことを志向すること

それが、私にできることだと考えています。
具体的には、まず、自治体としてできることを
しっかりとやらなければいけません。
原子力空母の乗組員のほとんどは、
日本がはじめてだということです。
3000人もの乗組員たちが、
横須賀のまちで暮らすわけですから、
その乗組員への教育がどのように行われているのか、
市から求めなければいけないものは何か、
考える必要があります。
また、安全対策については、議論を待ちません。
文部科学省が設置したJR横須賀駅近くの
モニタリングセンターは、
ごく微量の放射線も検知できる仕組みを持っていますが、
市としては、24時間常駐ではない勤務体制の現状を
変えることを要望するだけでなく、
市民への告知方法や市民のとることのできる対処方法を
もっともっと広く広報するべきです。
また、ヨウ素剤をもっと簡単に
手に入れることができなければいけません。
薬剤師会の前向きな姿勢がありますが、
市としてできることはないか考え、、
薬剤師会と、防災協定すら結んでいない現状などは
すぐにでも改めるべきです。
ほかにも、多くの方々の意見をお聞きしながら、
災害・風紀上の安全対策を進めていきたいと思っています。
次に、小泉元首相の引退について。
大学生のころ、はじめて小泉元首相に
お会いしました。
そのころ私は、少し「政治っぽいこと」に
かぶれていた頃で、
当時の三塚派という自民党の派閥の
パーティーに出席したときのことでした。
(私はお手伝いでした)
パーティーが終了して、
小泉元首相は出口で来客に挨拶をするために
立っていました。
一通り、来客が変えられた頃を見計らって、
名刺交換してくださいと、申し出ました。
同じ高校の後輩であること、
選挙ポスターのキャッチフレーズを
高校の同級生はみんな知っていること、
そんなことをお話したのを記憶しています。
母校では
入学年次を学校創設からの期数で呼ぶ慣わしがあり、
自分は46期であることを告げると、
小泉元首相は、
「僕は12期だ」
と答えたことも、いま思い出しました。
それ以降は、テレビで見るだけでした。
横須賀の市議会議員になってからも、
おみかけしたことは、3回しかありません。
さて、そんな小泉元首相が辞めるということ。
私は、なぜ9月25日を選んだのか
という疑問が先立ちました。
当然、原子力空母の入港のニュースを
多少なりとも消すためです。
私は少なくとも、そう推測しています。
そして、それは功を奏したようです。
私は、マスコミを使った
そういう情報操作は大嫌いです。
できることなら、
「自民党の総裁選挙を
 民主党の党大会にぶつける」だとか
「都議選が始まる前に、
 衆議院選挙を終わらせる」だとかいう
そういう理由で、
そういう政治っぽいことで、
本来政治が行わなければいけない議論、
本来マスコミが報道しなければいけない情報、
というものを、うやむやにしないでほしいと
思うのです。
青臭いことを言いました。
けれども引退の表明を
9月25日を選んだということに、
小泉元首相の政治的な姿勢が集約されているように
思うのです。
ただ、次の選挙に出ない、という決断は、
やはりさすがです。
私は、政治家というのは、
つねに「エンド」を意識しながら働くべきだと
思っています。
「エンド」という英単語は、
終わり」とも訳しますが、
目的」とも訳します。
この両方の意味で、しっかりとエンドを見据えるべきだと
思っています。
このエンドを設定できていない人は、
政治家などやるべきではないと思っています。
小泉元首相の場合、そのエンドを
しっかりと見ることができていたということでしょう。
しかし、ここで私が思うのは、
小泉ファミリーの政治のエンドはどこにあり、
いったい、いつまで続くのか、ということです。

世襲については、本人の質に拠るから
一概に悪だとは言いませんが、
それも4代にも渡れば、別です。
徳川家の歴史、足利家の歴史、北条家の歴史
それぞれ見ても、
名君と呼べる人間はわずかです。
初代以外では、徳川は家光、足利は義満、
北条は時宗くらいです(異論はあるでしょうが)。
民主主義の時代において、
封建的な結論を導かざるを得ない
この横須賀の町の風土は、
ぜひとも変えていかなければいけません。
もう一つ、
ここまで読んでくださった方に
お付き合いいただきたいのは、
9月25日に発覚した事件の話です。
逸見の塚山公園で、ある夫婦が自死しました。
その夫婦の遺書には、娘の殺害がほのめかされ、
実際、自宅では娘さんが遺体で見つかったという事件です。
借金が理由だそうです。
同僚の藤野議員が
強い問題意識をもってとりくんでいるので、
私は公的には発言を控えていますが、
自殺予防というのは、私にとっても
大きなテーマの一つです。
借金を理由に、人が死ぬ必要は絶対にありません。
絶対に、絶対に、ありません。
不動産価格の暴落や原油や資材の高騰に始まり、
消費者指数にいたるまで、
多くの経済指標が下を向いている状況で、
生活をしていくのがやっと、
という方が増えている状況を
どう改善していくのか、ということを
しっかり議論しなければいけません。
そして、生活をしていくのがやっとで、
ちょっとした間違いや必要性から、
借金をして、
その結果、娘を殺害して、
夫婦自ら死ななければいけないという社会は
絶対に、間違っています。

9月25日に発覚したということで、
敢えて、ニュースに反応しましたが、
ぜひみなさんも
原子力空母の問題や小泉元首相の引退について
関心を持つのと同じくらい、
その結果、娘を殺害して、
夫婦自ら死ななければいけないという社会に
なぜなっていて、どうすれば変えられるのか
身の回りで同じようなことが起きた場合どうするのか、
ということに、関心を持っていただきたいと思います。
そして「死のう」と思ってしまった、
あるいはそういう方を知っている場合は、
ぜひ市の相談窓口まで、電話をしていただければと思います。
保健所健康づくり課精神保健福祉担当
046-822-4336
横須賀こころの電話
046-830-5407

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